空手 53

そういう厳格な雰囲気が当たり前だった道場において、当時の少年部や女子部というのはオマケに近い存在であったように思います。 今でこそ少年部や女子部は沢山いますが、当時の支部では少年部は数人、女子部がいるところはかなり珍しかったのではないでしょうか。 機関誌の「パワー空手」では、極真の華というコーナーにおいて毎回各道…
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空手 52

私が空手を学び始めた頃の極真会館には、「強さこそ全て」、「強くなければ意見を言う資格もない」的な空気が道場に充満していた厳格さがありました。 ですから自分の言葉に「信」を持たせる為に私も一生懸命に強くなろうと必死で稽古を積み重ねていました。 今から振り返るとかなり偏った価値観であったように思いますが、創始者…
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空手 51

今も思いますが、あの時にラッキーさんの話に乗ってスリランカに渡っていたら私の人生はまた違ったものになっていたことと思います。 あそこは人生の分岐点の一つだったのでしょう。 何回かデルキーさんに本場のカレーを作ってもらい食べましたが、美味しいのですが辛過ぎて私には無理でした(笑) 数年前にテレビを見てい…
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空手 50

ラッキーさんからいきなりスリランカに来ませんか?と告げられて戸惑っていると、「栗田さんくらい空手の腕があれば人がいっぱい来ます!とくに日本人が空手を教えると言えば絶対です!」と、いつも穏やかなラッキーさんが顔を紅潮させて話して来ます。 「私の妻のデルキーの家はスリランカでも有数の資産家ですから、大きな道場も建てますし…
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空手 49

いつも先輩の意地悪から私を庇ってくれ、店での仕事も優しく教えてくれたラッキーさんに何か恩返しをしたいと考えた私は、ラッキーさんもブルース・リーが大好きだということを知り、武道具店にヌンチャクを買いに行きプレゼントをしました。 ラッキーさんは、ヌンチャクを凄く喜んでくれ、使い方を教えて欲しいと言われたので、休憩時間にヌ…
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空手 48

私は18歳のときに東京のレストランで働いていたのですが、そこにスリランカから新婚旅行に来て日本を気に入ってしまい、そのまま住み着いてしまった夫妻がいました。 旦那さんがラッキーさん、奥さんがデルキーさんと言い、とても仲の良い優しい夫婦で、新入社員だった私が先輩から意地悪をされているといつも助けてくれました。 …
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空手 47

私はブルース・リーの惚れ惚れするような素晴らしい蹴り技に憧れたこともあって、理想の蹴り、理想の速さやキレがあります。 そういう自分が目指す技術を生かした強さを身につけたいと願っていますし、例え強くなれたとしても自身の理想から外れた強さならば、そんなものはいらないと思って稽古を続けて来ました。 空手家は空手の…
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空手 46

私たちがいる空手や格闘技の世界は、どこの流派が最強だ!とか、どの格闘技が強い!ということが論じられますが、空手や格闘技とは状況を打破する為の手段であり手法です。 要するに闘う為の道具です。 道具とは使う人間の技術によりその真価を発揮するものなのです。 ですから自分が何をしたいのか? そのためにはどの…
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空手 45

自分が誇りを持っていた空手を馬鹿にされる………そういう嫌な経験をしたからか、それまではヘラヘラと生きて来た私が、プライドとはなんなのか?ということを真剣に考えるようになっていきました。 どんなことでも誇りを持って一生懸命にその道に取り組んでいる人を馬鹿にしたり、揶揄するようなことは死んでもしてはいけないことなんだ………
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空手 44

それからは自分が学んでいる空手を侮辱したりするような奴らには躊躇をせずに飛び掛かるようになって行きましたね。 基本的に人目につかないようなところでやっていたので、親友などは私のそういう激しい場面を見たことがなく、噂で私がブチ切れていると聞いても「お前が?」と信用せずに笑っていましたが、一度放課後の沢山の生徒が部活をし…
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空手 43

「お前が言うダンス空手が本当に弱いのかを見せてやる…」 再三に渡る執拗な侮辱に対して腹を据えかねた私は、ついにブチ切れてしまいました。 思いっきりローキックを入れて、そこからハイキックに繋いで顔面を思いっきり殴りました。 ズドンッ!と倒れた友達に対して上から「これがお前がいうダンス空手だよ!そのダンス…
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空手 42

「お前がやっている空手は弱い空手だ!」 「空手とは極真のことを言うのであって、お前の学んでいる空手はダンスだよ?」 「空手バカ一代の中で道場破りをされて、やられた空手家がお前だよ!」 等としきりに挑発をしてきます。 最初は私も「いやそれは違うよ、極真空手にも強い人がいるように、伝統空手にも強…
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空手 41

極真空手が好きだった私が最初に学んだのは伝統空手だったわけですが、当時は空手バカ一代で伝統空手をダンス空手と揶揄していた影響で伝統空手は弱いという誤った認識を植え付けられている人間が非常に多かったです。 私は「極真空手にも強い人はいるし伝統空手にも強い人は沢山いる」って冷静に考えていました。 ただ私が個人の…
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空手 40

空手を学び始めてからは楽しくて、本当に夢中になって稽古をしましたね。 当時、私が住んでいたところの前には大きなスーパーがあり、人通りも盛んなところでしたが、空手着を着て外で空手の稽古をよくしていました。 スーパーに来たお客さんに「何やってんの?」と声をかけられたり、「アチョー」等とからかわれたりしていました…
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空手 39

若かった頃の私は、当時の極真空手が持つアウトローで少数精鋭な雰囲気に憧れていました。 しかし極真空手を学んだからといって全員が強くなると思えるほど甘くはないと冷静に考えていました。 当時は極真空手の黒帯を取れるのは500人に1人とか、1000人に1人とか言われていた時代で、私の周りでもみんな極真空手を学びた…
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空手 38

私が最初に学んだ空手は沖縄剛柔流で伝統派の空手でした。 私はその頃から極真空手が好きでしたが、近くに道場が無かったので近所にあったその道場に入りました。 当時、特別個人指導という一般会員の倍の会費を納入することで、9段の館長自らが直々にプライベートレッスンをしてくれる特別クラスがあったので、そこに通っていました…
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空手 37

現代においても「〇〇が最強だ!」、「いや△△のほうが実戦的だ!」という論争は絶えませんが、 例え1000の技を持っていても、実際に使う技は1つか2つではないでしょうか? 本当に強い人は、その一つの技をあらゆる場面で使えるような、その技へと導く為の無限のプロセスを有しています。 そこへ導く為の技術力…
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空手 36

私が極真会館に移籍した30年以上昔は、先の私が感じたような顔面攻撃に対する論争というものが、空手の専門誌の読者投稿などで熱を帯びていました。 現代のようにネットも携帯電話すらも無かった時代ですので、ネット環境が整っていたらもっと凄い論争になっていたのだろうな~って想像します。 それと同じように「喧嘩で上段廻…
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空手 35

私が空手を学んだ動機が喧嘩に強くなりたいというもので、喧嘩もそれなりにはしてきましたし、武道も剣道や伝統空手など顔面を意識しなければならないものが多かったので、極真会館に移籍した当初は接近戦をすることに対して非常に抵抗がありました。 最初の頃は、この距離ならば顔を殴ったほうが早いのに……等という不遜なことを考えながら…
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空手 34

同じルールの中で戦っても、その中で実戦に近いイメージを体現して空手力を向上させることを旨として戦っている者と、ルールを最大限に利用して勝利に執着しようとしている人間が全然違うのだということを、16歳位の私には理解することも出来ませんでした。 顔面攻撃を想定せずに、顔面をがら空きにして接近するようなスタイルでは実戦を考…
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空手 33

当時の極真会館において、廬山道場の低後屈立ちでの一発一発に気合いを入れて、顔面攻撃を想定して戦うような大山道場時代から続く伝統的なスタイルは、ルールにおいては顔面攻撃は禁止されているのだからとそれを意識することは無駄であると省いて、ルールを利用して戦い勝利を得るという主流になりつつあった時代において異質であったように思います。…
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空手 32

太気拳との交流稽古会が開かれていた当時は、私は極真会に移籍したばかりでペーペーでしたので当事者ではありませんが、岡崎先輩からイロイロな経験談などを聞きワクワクとしたのを思い出します。 それから何十年もしてネットが発達すると何十回ダビングしたんだ?と思う位の酷い映像の太気拳との交流稽古会の動画がアップされていて驚きまし…
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空手 31

私が極真会と太気拳の稽古会のビデオを見せて頂いた当時は、このビデオが大山館長(当時)に見付かったら、その支部は潰される等と先輩から脅され、絶対に口外したり他の人間に見せたりしてはいけないと釘を刺されていました。 稽古会には当時、廬山道場で稽古をしていた松井章圭先輩や(第四回世界チャンピオン)、城南支部からは緑健児先輩…
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空手 30

現代は競技に対する整備化がなされ、試合に臨むための稽古内容や心構えというものがきちんとされていますが、黎明期においては混沌としており何が正しくて何が間違っているのか不明瞭なことが非常に多かったように思います。 私たちが稽古をしていた福島南支部は極真館の廬山館長が師範をされていたことがあるので、廬山師範の思想や稽古論が…
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空手 29

私が通っていた福島県南支部は、立禅から入り基本稽古、移動稽古、型、補強、約束組手、自由組手という、立禅を除いては一般的な極真会館の稽古と同じような流れで進むことが慣例でした。 ですから最後に自由組手が待っており稽古が進むにつれ皆の顔が強張り、場の緊張感が高まっていくのをヒシヒシと感じるのが常でした。 自由組…
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空手 28

昔は道場で行われる組手稽古で大半の人間が道場を去って行きました。 入門初日の白帯が、サポーターも着用せずに黒帯や先輩達と組手をすることも普通で、先輩によっては加減をしてくれる人もいますが、大半は本気で潰しにかかって来るので、大袈裟ではなく生き残るのに必死だったことを思い出します。 「喧嘩だと思って思いっ切り…
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空手 27

昔の極真会館の組手において、スパーリングという概念やサポーターの着用という習慣はありませんでした。 組手とはガチンコ、本気のぶつかり合いであり、その本気の勝負にサポーターを着用するということ自体が「甘え」であり、勝負への「冒涜」であるというような空気感が道場には充満していました。 現代のようにシステム化され、技…
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空手 26

初めて行った立禅がとても辛く感じたものですが、今から考えるとその説明はかなりアバウトでどのような効果があるのかという説明も気を纏ってくるという神秘的な説明がなされていました。 先輩達もやり方の注意点だけを聞いただけで、それのみをきちんと守って続けるという稽古だったので、太気拳の練士ではない我々が行うには成否の判断が非…
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空手 25

私が極真空手に移籍した当初に一番きつかった稽古が立禅でした。 廬山師範は太気拳の創始者である澤井先生に師事されておりましたので、その影響で稽古が始まるとすぐに立禅という太気拳の基礎となる型を行うのが慣例でした。 膝を軽く曲げ、踵を軽く浮かし、手を大木を抱えるように大きく構え、目は半眼にした姿勢で15~30分間こ…
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空手 24

当時、私たちを指導してくれていたM先輩は自衛隊のレンジャー所属でしたので、私たち道場生に求める厳しさもそれは凄かったです。 レンジャーといえば自衛隊のエリート集団ですので、M先輩がやらせる基礎体力トレーニングも一般的な道場よりもかなりハードであったということを後に他の道場に移ってから知ります。 ヘリコプター…
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